ポリタス

  • 論点

「難しく・面倒くさい」福島の復興

  • 開沼博 (福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員)
  • 2015年3月17日

東日本大震災・福島第一原発事故から5年目となる年を迎えるにあたり上梓した『はじめての福島学』は、「福島の問題が難しい・面倒くさい」と感じているであろう多くの人に対して「とりあえずこれ一冊読めば、福島の問題を知り、語るための基礎知識がつきます」と、必要なデータと論理をまとめたものだ。

その冒頭(P2~3)では以下の25の問題を出している。

それぞれについて「恐らくこのぐらいの数字じゃないか」と見当がつく問いはどのくらいあるだろうか。あるいは、「どれも全くイメージがつかない……」というのが正直なところだろうか。

福島を知るための25の数字

1. 復興予算って何円? (2011年以降、5年間で)

2. 震災前に福島県で暮らしていた人のうち県外で暮らしている人の割合はどのくらい?

3. 福島県の米の生産高の順位は2010年と2011年でどう変わった? (全国都道府県ランキングでそれぞれ何位)

4. 福島県では年間1000万袋ほど作られる県内産米の放射線について全量全袋検査を行っている。そのうち放射線量の法定基準値(1kgあたり100ベクレル)を超える袋はどのくらい?

5. 精米して炊いたコメのセシウム量は玄米の何分の1?

6. 日本の場合、コメや野菜の法定基準値は100ベクレル/kgほどだが、米国やEUはそれぞれどのくらい?

7. 私たちは通常、年間何ミリシーベルト被爆している?

8. 通常、体内には何ベクレルぐらいの放射性物質がある?

9. 私たちの体内には放射性カリウムという放射性物質が常に4000ベクレルほど存在しているが、体内の放射性カリウムの量と放射性カリウムの量を同様にするには、法定基準値の5分の1(20ベクレル/kg)程度のごはんを毎日ごはん茶碗(200g)何杯分くらい食べる必要がある?

10. 福島県の漁業の2013年水揚量は2010年に比べてどのくらいに回復している? (何%)

11. 福島県の材木の2013年生産量(≒林産物素材生産量)は2010年に比べてどのくらいに回復している? (何%)

12. 福島県の一次/二次/三次の割合(産業別就業者数構成比)はどのくらい? (それぞれ何%)

13. 福島県の2013年観光客(=観光客入込数)は2010年に比べてどのくらいに回復しているか? (何%)

14. スパリゾートハワイアンズの客数は3.11前と比較してどのくらい増減している?

15. 福島県の2013年修学旅行客数(=教育旅行入込)は2010年に比べてどのくらいに回復しているか? (何%)

16. 直近(2014年11月)の福島の有効求人倍率(就業地別)は都道府県別で全国何位?

17. 福島県の2013年のホテル・旅館に滞在する「宿泊旅行者」は2010年に比べてどのくらいに回復しているか? (何%)

18. 福島の2013年の企業倒産件数は2010年の何倍? (1件の負債額1000万円以上の企業)

19. 「3.11後の福島では中絶や流産は増えた」「3.11後の福島では離婚率が上がった」「3.11後の福島では合計特殊出生率が下がった」のうちいくつ正しい?

20. 福島県の平均初婚年齢の全国順位は?

21. いまも立ち入りができないエリア(=帰還困難区域)は福島県全体の面積の何%ぐらい?

22. 原発から20キロ地点にある広野町(3.l1前の人口は5500人ほど)には、現在何人ぐらい住んでいる?

23. 双葉郡にできる中間貯蔵施設には東京ドーム何杯分の容積?

24. 福島県の予算は3.11前の何倍くらい?

25. 福島県の震災関連死は何人ぐらい?

答えは、『はじめての福島学』の本文内で随時、解説をしているし、末尾(P406~409)にもまとめてある。ぜひご覧頂きたい。

……と言っただけで終わってしまうと「答えは? 無いの?」と無責任に思う人もいるだろう。

だが、そうではない。その、脊椎反射的な「答えは?」という気持ち、少なからぬ人が持つ「誰かが与えてくれるわかりやすい話」を望む欲求こそ、私が『はじめての福島学』の中であぶり出そうとしたものであり、抗おうとしたものだった。

例えば、「2. 震災前に福島県で暮らしていた人のうち県外で暮らしている人の割合はどのくらい?」という問い。この問いに対して、関西の新聞記者の方は「4割くらいですかね」と答えた。

あるいは、災害を専門とする研究者・実践者が集まる学会で「4. 福島県では年間1000万袋ほど作られる県内産米の放射線について全量全袋検査を行っている。そのうち放射線量の法定基準値(1kgあたり100ベクレル)を超える袋はどのくらい?」という問いを出すと、「1%ぐらい」「3%ぐらい」などという答えが続出した。

実際の答えを知っている者は「それは極端な話だ」と思うかもしれない。ならば、ぜひ周りの人にこの問いを出してどんな答えが返ってくるのか試していただきたい。「極端な話」があふれていることに気づくだろう。

逆に「あれ、そんなもんじゃないの?」と思うならば、実際の答えを調べてもらいたい。25問の答えとなる数字はインターネット上に転がっており、データを集めるだけで全ての答えが出るように作ってある。前者は「福島 人口」「福島 県外 避難」などで検索すれば、後者は「全量全袋 結果」「福島 2014 基準値」などで検索すれば、2分以内に、元データなり新聞記事なりから、大まかな答えに辿り着けるはずだ。そして、自分の持っていた「福島イメージ」と「現実の福島」との溝に気づくはずだ。


撮影:初沢亜利

「行政がデータを出していない」「マスコミは隠蔽している」などといった定型句が飛び交ったが、少なくとも、この25の数字を明らかにする程度の基礎情報については、だれでも簡単にインターネットを使ってアクセスできる。にも関わらず、私たちはそれを怠ってきたのではないか。にも関わらず「福島の問題はどうなるかわからないから難しい」「復興が遅れている」などと、自らの思考停止の免罪符となるような定型句を繰り返してきたのではないか。

(とは言え、「今すぐまとまった解説が読みたい」という人もいるだろう。その場合は、「福島を知るための25の数字」に関する問いの答えの一部が、朝日新聞デジタルのコンテンツ「震災4年目の福島 データを歩く」にあるのでこちらをご覧頂きたい。設問の設定と解説について部分的に協力をした。

ここで認識すべきことは、私たちが「どこかで聞きかじったわかりやすい話だけで、知ったつもりになっていないか」、あるいは「わかりやすい答えを与えてくれる指導者を無意識のうちに求めてこなかったか」ということだ。

先に出したそれぞれの問について、私たちの多くは答えを知らない。にも関わらず、無理に答えを見出そうとする。「無理に出した答え」、すなわち、誤解、あるいはデマ・風説の類を元にした議論もあふれている。

その結果、私たちが共有する認識にある偏りが生まれる。その偏りとは端的に言えば、「過剰反応」だ。

ハーバード大学ロースクール教授で法学者のキャス・サンスティーンは『最悪のシナリオ―― 巨大リスクにどこまで備えるのか』という本の中で、巨大な危機が起こった時に、人々がどう反応するか「過剰反応と無視」という一節で書いている。それは、まさに「過剰反応」するか「無視」し通すか、という2極化した反応だという。

3.11以後の状況を振り返るならこう言えるかもしれない。最初は大方の人が「過剰反応」する。「無視」できる人は少なかった。ただ、時間が経つと、だんだん「過剰反応」に疲れてくる人が、「福島の問題は難しい・面倒くさい」と、「無視」する側に流れてくるようになってくる。そして、「過剰反応」している人も、かつてしていた人も、いまだに3.11直後の過剰反応のもとで形作られた認識のフレームのもとで思考を続けようとばかりする。


撮影:初沢亜利

これを、拙著の中では「俗流フクシマ論」と呼んだ。私はこの4年間で全国で200回ほど講演をしてきた。その中では、例えば、以下のような話を本気で信じている人がいることに驚かされてもきた。

「福島ではいまもみんな避難したがっている。放射能に恐れ慄き避難者は増え続けている」「3.11直後、福島では中絶が増えた」「福島で子どもをもつことに不安を抱く女性たちばかりになって『産み控え』が続き出生率も戻らないまま。里帰り出産もだれもしない。母親たちは子どもにマスクをつけさせている」 「原発事故のせいで、人々が分断され離婚が急増した。結婚の破談も続いていて結婚率は元に戻らない」「福島からは人口流出が続いていて、みんな不動産を手放そうとする。でも、買い手がつかないから土地の値下げ合戦が続いている」「放射能を避けるには福島産品、あるいは東日本の食品を避けるのが最もリスクが低い。なによりも、老若男女問わず避難することで命が救われることは確かだ」「政府やマスコミは隠蔽しているが、実は、福島では死産や深刻な先天性疾患が増えている」「政府は安全キャンペーンを繰り広げて福島観光を推進しようとするが、実際はもう福島なんかに行きたい人はだれもいないから、ホテル・旅館は閑古鳥が鳴いている」「放射性物質で汚された福島の農地では農業なんかだれもできない。破産する農家が増えている」「福島の作物はいまもその大部分が検査の過程で基準値を越え廃棄されている」「福島では汚染水の問題など30年以上つづくのだから漁業など永遠にできない」「福島第一原発周辺はいまも放射線量が高く海からでも近づくことは無理」「特に福島の林業は壊滅的打撃を受けてもはや回復不能だ」「国は除染を意味があることのように言うが、除染をいくら続けても無駄。常に、森林から放射能が流れてきているからだ」「あらゆる福島産のものへの忌避意識は根強く、製品を買ってもらえない製造業の企業がつぶれまくっている」「福島では農林水産業、製造業、観光業など多くの産業に多大な影響が出て、失業者が激増している。ハローワークに行っても求人票はない」「ホールボディカウンターで検査すると、子どもたちからも内部被曝が増えているという結果がでている」「福島の子どもたちは他県よりも放射能の多い危険な食べ物を食べ続けている」「復興予算はハコモノへの無駄使いばかり。復興は遅々として進まない」「3.11以後、日本の放射線検査の基準は他国に比べてゆるく設定されている」

これらは、実際のデータを見れば実態と乖離した「過剰反応」をベースにした俗説であることがわかるものばかりだ。


撮影:初沢亜利

サンスティーンは『インターネットは民主主義の敵か』という著書ももつ通り、インターネットなど情報化の動きの中で生まれる民主主義の存立の基盤の変化にも非常に詳しいが、情報化の中で、多くの人が自ら必要な情報を手に入れて事実に向き合うことに向かわずに、このような「過剰反応」をベースにした俗説がまかり通る現状について、私たちは民主主義の根底を見つめなおす必要もあるだろう。

民主主義の成立のためには――あるいは3.11用語で言い換えるならば「復興」「絆」「寄り添い」が成立するためには、と言ってもいいかもしれない――最低限の知識の共有であり議論の前提が必要だ。そのために教育やメディア環境が整えられる必要がある。

例えば、テレビ番組で街頭インタビューをされた若者が「現在の総理大臣の名前」を問われ的はずれな答えが返ってきた時、私たちは「非常識だな」と笑う。だが、その「非常識を笑う行為」は、総理大臣や米国大統領の名前はもちろん、国家予算の大まかな規模・使途、「アベノミクス」や「集団的自衛権」など今課題となっている制度・政策の概要を一定の国民が知っているからこそ成立する。そして、だからこそ選挙の争点は争点たりえるし、「共通な関心事」について語り合い続ける公共性・公共圏に多くの人が参画できる。さもなくば、「笑えない」。

つまり、「最低限、理解しておくべき知識」が、実際に「最低限、理解されている状態」があるからこそ「非常識を笑う行為」が成り立つ。

しかし、福島の現状、あるいは広く被災地の問題については、まさに、この「最低限、理解しておくべき知識」が「最低限、理解されている状態」にすら至っていない。そうであるが故に先に述べた「25の数字」に的外れな答えが返ってくるし、「俗流フクシマ論」が笑われるべき俗説ではなくあたかも真実であるかのような定説としてまかり通る。


撮影:初沢亜利

その点で言うならば、福島をめぐる「3.11をとりまく民主主義」はいまだ成立していないと言ってよい。

多くの人が最低限の知識の共有をすることもなく、また、知識の共有を促すようにメディアが適切な役割を果たさずにきた。現実の一部を過度に強調したり、あるいは吉田調書問題のごとく現実とは違ったセンセーショナルな側面を煽り立てることに終始してきた4年間がそこにあった。

今年もまた、3.11周りのメディアには「復興が遅れている」「風化が進んでいる」という「4年間同じことを繰り返しているだけ」のメッセージがあふれた。

だが、それは本当か。現場では多くの人の努力によりめざましく復興が進んできている部分もある。風景はめまぐるしく変わり続けている。

最も遅れているのは、「理解の復興」だ。

3月9日に公表された福島民報と福島テレビによる福島県民への意識調査によれば、「福島県の現状は国民に正しく理解されていると思いますか」という問いに対して71.6%が「理解されていない」と答えている。また「東京電力福島第一原発事故による本県への風評が収束する兆しを感じますか」という問いに対して、61.3%が「感じない」と答えている。

最低限、そこで起こっている事態を理解し、またそこに生きている人が抱えているニーズを理解する。それをすることなしに「復興が遅れている」などと神妙な顔をして嘆いてみせれば「年に一度のメモリアルをやりすごせる」とでも思っているならば大間違いだ。「風化が進んでいる」のはそう言っている本人の頭の中の話であって、「3.11」や「福島」にかこつけて行われる「善意」あふれるセレモニーの中にも、俗流フクシマ論的な前提を元にしていたり、センセーショナリズムに基づく傾向をまとったものも出てきている。


撮影:初沢亜利

そんな中で、被災地外に住む人間が被災地、とりわけ「難しい・面倒くさい」化する福島の問題に対して今、そして今後できる支援は何か。『はじめての福島学』では2つの視座を提示している。

一つは、ここまで述べてきたとおり、最低限の知識をより多くの人が理解することだ。本書を「教科書」的に読み、その内容を会得ことでそれは一定程度達成されると言っていいだろう。

また、本書の一番最後(P410~411)には「福島学おすすめ本・論者リスト」として読んでおくべき、本や論者をあげている。本書で「木の幹」をおおまかに抑えた上で「木の枝葉」を充実させていって頂くと学びやすいだろう。

もう一つは、理解の上で具体的な行動につなげることだ。

前述の通り、私は2011年3月以来、全国各地で200回以上、福島に関する講演やシンポジウムに登壇してきた。そこで最も聞かれる問いの一つは「私に何ができますか」というものだった。

それへの答えはまず「現場に迷惑をかけない」ということ。俗流フクシマ論に基づく的はずれな「支援」が現場を混乱させてきた部分はこれまでも多くあった。多くの場合、現場が現状の課題を最もよく知っているし、現状の課題に最後まで向き合う/向き合わざるをえないのは現場だ。そこで生まれている動きをいい方向に促すことはあっても、阻害することをしてはならない。

その上でなされるべきは「買う・行く・働く」の3つだ。


撮影:初沢亜利

例えば、インターネット上にはいくたでも被災地の商品・製品は転がっている。そういうものを買う。もう少し余裕があるならば、仕事でも観光でもいいから行く。さらに飽き足りないならば、ボランティアでも、一時的なアルバイトでも、正規雇用でもいいから被災地で、あるいは被災地のために働く。

これらがなぜ重要かというと、誰もが日常生活の中で必ず行っている行為だからだ。その行為のアウトプット先を、少しズラすだけで被災地への支援ができる。

これは、日常的な行為だからこそ意義がある。被災地外から被災地内の問題を扱う時、私たちはしばしば、そこに非日常や特殊性を求めがちだ。「こんな酷い」「こんな大ごとが起こっている」と言いたがるし、3・11周りに鬼の首を取ったように「復興が遅れている」と言い募りたがる向きもこれだ。

ただ、非日常や特殊性は持続性がない。非日常は遅かれ早かれ、必ず日常に戻るし、特殊性は時間の経過のともに普遍性へと接続していく。持続的な復興、持続的な支援にとっては、非日常・特殊性の中で被災地に関わろうとすることのみならず、日常生活の中で関わることが重要だ。

今回のポリタスに書かれている議論が示す「希望」の多くは、まさにこの点を具体的に述べているものとして捉えることもできるだろう。瀧澤勇人さんの「震災復興ツーリズム」、藤沢烈さんが紹介する企業のCSR・CSVの事例、小松理虔さんも実際に参加した「いわき万本桜プロジェクト」などがそれにあたる。

理解と行動。その循環が困難を乗り越え、希望を具体化する。『はじめての福島学』をぜひ手にとってもらいたいと考えている。 


撮影:初沢亜利

著者プロフィール

開沼博
かいぬま・ひろし

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員

1984年福島県いわき市生まれ。読売新聞読書委員(2013-)。復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員(2013-2014)。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(同、佐藤栄佐久氏との共著)、『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。学術誌の他、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

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