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「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ 

  • 高橋哲哉 (哲学者/東京大学大学院総合文化研究科教授)
  • 2015年6月30日

根本的な矛盾の解消のために

私はここで、普天間飛行場の問題を含めて、沖縄の米軍基地問題についての基本的な考え方を述べたい。

在日米軍基地は「本土」の圧倒的多数の国民の支持によって存在している

日米安保条約が「日本の平和と安全に役だっている」という人は、近年の世論調査で80%を超えている。日米安保条約を「今後も維持することに賛成」の人も、同じく80%に達している。内閣府のデータでも朝日新聞のデータでもこの傾向は変わらない。沖縄県の人口・有権者数とも全国の約1%であるから、沖縄の安保支持率は全国の支持率にほとんど影響しない(全国よりかなり低い傾向がある)。要するに、在日米軍基地は「本土」の圧倒的多数の国民の支持によって存在していることになる。

では、なぜ、在日米軍基地の74%もが沖縄に集中しているのか。沖縄の人々にとっては、米軍基地も安保条約も不本意ながら押しつけられてきたものである。それらを存置する決定に一度も参加させられたことがない。いま辺野古の新基地建設に沖縄の圧倒的多数の人々が反対しているのも当然である。米国施政権下でも日本復帰後も、沖縄の人々はつねに「基地なき沖縄」の実現を願ってきたのである。それなのに、なぜ「本土」にではなく、沖縄に米軍基地が集中しているのか。


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根本的な矛盾がここにある。有権者数1億人の8割もが米軍基地の必要を感じている「本土」にではなく、人口・面積とも「本土」の100分の1前後しかない小さな沖縄県に、全体の4分の3もの基地が置かれているという矛盾である。もしも「本土」の国民が日米安保体制の維持を望むなら、米軍基地に伴う負担とリスクは「本土」で負うのが当然ではないか。負担とリスクを負う覚悟なしに、それらを沖縄に負わせて、自らは利益だけを享受するなどということが許されるだろうか。

「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ

私は、この矛盾を一刻も早く解消するために、「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだと考える。普天間飛行場をはじめとして沖縄の米軍基地を「本土」に移設する。そして沖縄と「本土」との異常な不平等を解消し、沖縄への差別とか植民地支配とか言われる基地政策をやめなければならない。私たち「本土」の国民は、この「県外移設」の要求に真剣に向き合わない限り、米軍基地問題についても日米安保体制についても、自らの問題として引き受けることができないだろう。


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県外移設の正当性

「本土」の国民の意思で米軍基地を置いているのに、いざ「本土」に移設しようとすると反対が強いので「政治的に」難しい

県外移設とは、基地の「誘致」や「招致」ではなく「引き取り」である。なぜなら、日米安保体制下では、上述の理由から、米軍基地は本来「本土」にあるべきものだからである。在沖米軍の主力をなす海兵隊については、沖縄駐留を正当化する軍事的理由や地政学的理由が根拠薄弱であることはすでに指摘されている。森本敏氏は防衛大臣在任時、上記の理由を否定し、「西日本のどこか」であれば海兵隊は機能するが「政治的に許容できるところ」が沖縄しかないと述べた。退任後、最近も「九州の南部か西部」であれば軍事的には機能すると発言している。中谷元氏(現防衛大臣)も、昨年、沖縄の米軍基地は「分散しようと思えば九州でも分散できる」、「理解してくれる自治体があれば移転できる」が、「米軍反対とかいうところが多くて」できない、と述べている。要するに、「本土」の国民の意思で米軍基地を置いているのに、いざ「本土」に移設しようとすると反対が強いので「政治的に」難しいということである。


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日本政府は「本土」の利益のために、沖縄への米軍隔離を望んできた

だが、そもそも沖縄の海兵隊は、「本土」にいた部隊が沖縄に移駐したものである。1950年代、岐阜と山梨に司令部が置かれ全国に分散駐留していた海兵隊は、「本土」での反基地・反米感情の高まりを恐れた日米両政府によって沖縄に移され、「隔離」された。復帰後の1976年、1979年にも、沖縄県民の反対を押し切って岩国から部隊が移駐している。一方、日本政府は1972年、在沖海兵隊の撤退の動きがあった時にはこれを引き留めている。1995年の少女暴行事件後も、米国側が米軍の撤退や大幅削減や本土移設の選択肢を検討した際、日本政府がこれらを望まず、普天間飛行場の県内移設へとつながっていったと、交渉に当たったモンデール駐日大使(当時)が証言している。さらに、2012年2月、米軍再編の見直し協議のなかで、米国政府が在沖海兵隊約1500人の岩国基地移駐を打診してきたが、山口県や岩国市の反発を受けて当時の野田政権がこれを拒否した。これらの経緯からわかるのは、沖縄への米軍集中がまさに政治的に作られたものであること、そして日本政府は「本土」の利益のために、沖縄への米軍隔離を望んできたことである。


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沖縄への基地集中の主な理由が政治的理由であるならば、日本政府の政策を支持・容認している「本土」の国民こそ、その当事者であることになる。抗議する人々を暴力的に弾圧してまで新基地建設を強行する安倍政権の背後にも、安保体制を支持しながら基地の負担とリスクには頬かむりしている「本土」の国民の存在があるはずだ。「本土」の私たちは、日米安保条約を即刻終了させるという見通しが立たないならば、辺野古の工事の即時中止を要求するだけでなく、「では普天間を固定化するのか」という脅しに対して、「県外移設」の選択肢を提示すること、政府に「県外移設」の可能性を徹底的に追求するよう要求することをもって、応えるべきだと考える。

県外移設は鳩山政権が追求して無残な失敗に終わったではないか、という人もいよう。たしかに鳩山首相は県外移設実現のための準備と手腕を欠いていたし、何よりも論理に欠けていた。県外移設の正当性を国民やメディアに向かって説くことができなかった。実は、県外移設による沖縄の負担軽減を打ち出したのは、鳩山首相が初めてではなかった。2004年10月、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故後の状況で、小泉首相が「本土移転」を呼びかけ、当時の稲嶺沖縄県知事が期待を表明したが、受け入れる自治体は皆無で立ち消えになった。こうした経緯はしかし、県外移設の不可能性を示すのではない。むしろ、自民党政権でも民主党政権でも首相が方針を打ち出すことは可能であり、有権者・国民の支持さえあれば、それをバックに米国側と交渉することも可能であることを示している。

「安保廃棄」を目指すなら、まず本土で

では、日米安保条約に反対する「本土」の人間はどうするのか。「安保反対」は戦後日本で社会党・共産党など革新勢力が唱えてきたスローガンであり、世論調査で3割前後の支持を得ていた時代もあったが、近年では1割前後の支持しか得られていない。しかし今日でも、反戦平和運動では「米軍基地は沖縄にも日本のどこにもいらない」というアピールが行われている。普天間基地については、県内移設はもとより県外移設も許されず、無条件撤去しかないという意見になる。

反戦平和運動の観点からは、この立場がきわめて自然であることはわかりやすい。軍事に原則反対の平和主義からすると、軍事基地は、沖縄にあっても「本土」にあっても反対すべきものとなる(もちろん自衛隊基地も)。そのうえ日本には、「戦争放棄」のみならず「戦力不保持」をも定めた憲法9条がある。米軍の日本駐留は憲法違反の疑いがある。


Photo by midorisyuCC BY 2.0

私自身、「平和国家」を標榜する日本に多数の米軍基地を置くのはおかしいと思う。日米安保条約はいずれ平和友好条約に切り換え、米国依存を脱して、近隣諸国との信頼醸成に努めながら、東アジアのなかで安全保障秩序を構築し、軍事的緊張を縮減していく以外に日本の安全を保障することはできないと考える。

「沖縄にいらない基地は日本のどこにもいらない」というスローガンは、県外移設を求める沖縄の側から見れば「本土」の側の県外移設拒否宣言に聞こえる

しかし、革新勢力が何十年と「安保廃棄」を唱えてきても、安保支持は減るどころか漸増を続けて今や8割に達している。反戦平和の立場であっても、直ちに「安保廃棄」が見通せない限り、「安保廃棄」が実現するまでは県外移設によって沖縄の基地負担を引き受けるしかないだろう。「沖縄にいらない基地は日本のどこにもいらない」というスローガンは、県外移設を求める沖縄の側から見れば、「本土」の側の県外移設拒否宣言に聞こえる。実際、反戦平和運動は、「沖縄にいらない」米軍基地は「日本のどこにもいらない」のだから、「本土」のどこにも移設すべきではないとして、県外移設に冷淡な立場をとってきた。その結果、「本土」には許容できる地域がないから県外移設はできないという政府の立場に近づいてしまうのだ。日米安保条約をいつまで続けていくのかは、いずれにせよ、「本土」の8000万有権者の意思にかかっている。日本の反戦平和運動は、「安保廃棄」を目ざすなら、県外移設を受け入れた上で、「本土」で自分たちの責任でそれを追求するのが筋だろう


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翁長知事の近年の持論が県外移設であり県政基本方針でも「辺野古反対」だけでなく「県外移設」が掲げられていることを報じるメディアはほとんどない

最後になったが、沖縄の県外移設要求について付言しておきたい。「本土」のメディアは沖縄の県外移設要求に向き合おうとしていないし、むしろ、知っていながら意図的に報道しない傾向がある。新聞、テレビだけでなく出版メディアもそうである。安倍政権のあまりに強硬なやり方に眉をひそめた「本土」のメディアも市民も、「辺野古断固反対」の翁長新知事の誕生を喜んだように見えたが、その翁長知事の近年の持論が県外移設であり、県政基本方針でも「辺野古反対」だけでなく「県外移設」が掲げられていることを報じるメディアはほとんどない。翁長氏は知事選挙では県外移設を前面に出さなかったが、これは革新政党との連携のための妥協であって、翁長氏の圧勝という選挙結果の背景には間違いなく、氏の県外移設要求に共鳴する広範な民意があったと私は考えている。

辺野古移設阻止の現場闘争をリードしてきた山城博治氏は、大田昌秀知事が安保の「応分の負担」を「本土」に求めて以来、沖縄は「一貫して」「県外移設」を訴えてきたと書いている(同氏「沖縄・再び戦場の島にさせないために」『琉球共和社会憲法の潜勢力 群島・アジア・越境の思想』未来社、201頁)。「本土」の私たちが問われているのは、この声に向き合うことができるかどうかである。


Photo by 津田大介

※なお、より詳細な議論については、拙著『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』(集英社新書)を参照していただきたい。

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著者プロフィール

高橋哲哉
たかはし・てつや

哲学者/東京大学大学院総合文化研究科教授

1956年、福島県生まれ。哲学者。東京大学大学院総合文化研究科教授。ベストセラーとなった『靖国問題』(ちくま新書)ほか、著書多数。本稿と関連する著書に、『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』、『犠牲のシステム 福島・沖縄』(いずれも集英社新書)、『憲法のポリティカ 哲学者と政治学者の対話』(共著、白澤社)がある。

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