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政治を自分のものに:初のパリテ国政選挙をスタートに

  • 牟田和恵 (大阪大学大学院人間科学研究科教授)
  • 2019年7月19日

今回の参院選は、初めてのパリテ国政選挙だ。

そういってもピンと来る人は多くはないだろうが、2018年5月に日本版パリテ法である「政治分野における男女共同参画推進法」が施行されており、それが適用される初めての国政選挙なのだ。

パリテ(parité)とは「同等、同質」を意味するフランス語だが、パリテ法とはフランスで2000年に施行された、選挙の際の候補者男女同数を定めた法のこと。実現には長い道のりがあり、ついには憲法改正まで行って制定された。日本のこの法律は強制力は一切なく、実際今回の参院選でも、女性候補者がほぼ半数に上っているのは社民・共産・立民の3野党のみで、与党自民党は15%に過ぎない。候補者全体では28%というのが実情だから、「日本版パリテ」というのはちょっとおこがましくはあるのだが、しかし法がはらむ意味は大きい。

世界の常識ジェンダークオータ

議員数の男女均衡を求める、こうした法の原点は1970年代後半の北欧にさかのぼる。国際的に見て男女平等が進んでいた北欧諸国でも、1920-30年代に女性の参政権が認められて約半世紀が経ったといえ、女性議員はなかなか増えなかった。このままのペースでは議員数が男女平等になるのに数百年かかってしまう、何かの手を打つ必要がある。そこで北欧の人々が考えたのが、女性議員数を増やすには、各政党が立候補者数を半々にすればいい! というものであった。

詳細は省くが、その後まもなく実際に議員数は半々近くになり、結果、内閣に占める女性数も増え、女性が総理大臣になるのも当たり前、という展開をたどった。

女性議員数を増やす──正確に言えば議員数の男女不均衡をただす──施策は「ジェンダークオータ」と総称されるが、手法としては、政党が候補者の女性数を増やす、議席の一定の割合を女性議席とする、法で候補者数割合を定める等がある。法的裏付けも、憲法によるもの・一般法によるもの・任意のもの等あり、地方レベル・国政レベルでもいろいろなやり方がある。世界各国のジェンダークオータの情報を収集したデータベースであるGENDER QUOTAS DATABASEウェブサイトによると、世界で127の国が何らかの方法・何らかのレベルで採用しており、まったく採っていなかった日本は例外に属していた。日本で海外の選挙が報道されるのはアメリカの選挙時くらいだが、そのアメリカもジェンダークオータを採用していない例外的な国だ。日本社会でジェンダークオータに関してほとんど知られていないのはそのせいもあるだろう。2018年に法が成立した日本の状況は同データベースにはまだ反映されていないようだが、世界各国の手法、状況について大変詳細で興味深いので、一度webサイトをのぞいてみることをお勧めする。

なぜ必要なのか?政治を身近に

そもそもに戻って、いったいなぜこのような施策が必要なのか。同法成立まで反対意見が根強く(今でもだが)ずいぶん成立に時間がかかった。本当に実力があればそんな制度に頼らなくとも女性でも議員になれるはず、そんな制度を作ったら実力もないのに議員になる女性が出てきて悪平等だ、云々。しかしこれは、日本に限らず、様々な面で女性たちが政治から遠ざけられてきた歴史的プロセスと社会的現実を無視した暴論だ。でなければなぜ、世界の百数十カ国がこの制度を採り入れてきたのだろうか?

女性たちが政治から遠ざけられてきたということはイコール、男性が政治の世界を牛耳ってきたということでもある

そして、女性たちが政治から遠ざけられてきたということはイコール、男性が政治の世界を牛耳ってきたということでもある。国会でも地方議会でも登場するのは中高年の男性ばかり、みなダークスーツを着て、議席ではしばしば居眠り。多くが有力政治家一家の世襲で、そうでなければ官僚や職能団体・労働組合の幹部出身。こういう政治の風景が、いかに政治というものを、無縁なもの・うっとうしいものとして、普通の人々から遠ざけてきたことだろうか。

今回の参院選では、これまでになく、夫婦別姓選択制や同性婚、LGBTの権利などが多くの政党の公約に入ってきている。女性候補者たちには、自身の経験から女性の非正規貧困問題や、セクハラや性暴力との闘いを公約に掲げる候補者もいる。子育て支援や待機児童問題解決などは、これまでどの候補者どの政党も掲げてきた(そして何らの前進もない)ことだが、実際に子育てをしながらの立候補をしているフレッシュな女性候補者たちを見ると、その切実さ真剣さの違いは歴然だ。


Photo by Ross Griff (CC BY 2.0)

いったい政治とはなんだろうか。これまで女性議員が皆無であった、ある地方議会の議員が「女性議員がいなくとも何も問題はなかった」とインタビューに答えていたが、彼にはまさに、問題が「見えていない」のだ。女性はじめ多様な人々が議員になることで、これまでの既存の政治では不可視であった問題課題を議会の場に持ち込んでいく、それがまさに「政治」ではなかろうか。

今回の参院選は、初の国政パリテ選挙でそのことがようやくはっきりと現実化しようとしている。しかも今回は、#MeTooはじめ女性たちの声が公空間に大きく登場し始めた、その最初の機会である。「パリテ選挙」はまだまだ人々に広く知られるには至っていないかもしれないが、今後将来に大きく花開き根付いていくスタートだ。

若者クオータ

若い世代が抱える問題は多々あるのだから、そうしたテーマにメインに取り組み、若者の声を代弁する議員が必要だ。

「自分に身近な政治を」「自らの声を政治に」というのは、もちろん女性に限ることではない。日本の政治状況で過少代表となっているのは、女性と並んで、若者だ。被選挙権は30歳以上(参議院。衆議院議員は25歳)という制限を考慮したうえでも、今の国会には若者が少なすぎる。若者の貧困、将来不安、長すぎる就活期間、奨学金問題等々、若い世代が抱える問題は多々あるのだから、そうしたテーマにメインに取り組み、若者の声を代弁する議員が必要だ。だから若者のクオータ制度も考えられていい。法制化せずとも、日本版パリテ法をモデルに、各政党が自主的に始めることができる。

クオータの一つの効用は、各政党がふさわしい候補を発掘するところにある。今回各政党は(少なくとも法を守ろうとした政党は)、各領域で活躍してきた実力のある、しかし「選挙に出る」ことには縁遠かった女性たちを発掘し候補とした。制度が無ければ、そのような積極的な働きかけはなかっただろう。若者についても、すでに私たちは、さまざまな場で若い世代の面々が活躍しているのを知っている。政治、特に国政の場に若者はいかにも経験不足のように見えるかもしれない。でも若者に人生経験が少ないのは当たり前だ。若者クオータがあれば、そうしたことをおいて、可能性ある若者たちを政治の場に送り出し、若い世代の声を政治に反映させることができるようになる。今後の政党の取り組みに期待したいが、これもまた、政治を自らのこととして投票所に足を運ぶ若い世代が今回増えれば、実現可能性が近づいてくるはずだ。

著者プロフィール

牟田和恵
むた・かずえ

大阪大学大学院人間科学研究科教授

専門はジェンダー論。近現代のジェンダーポリティクスを研究課題とする。現代の性をめぐる問題にも関心が深く、とくにセクハラ問題については『部長、その恋愛はセクハラです!』『ここからセクハラ!Noがわからない男、もう我慢しない女』などの著書がある。現在、科研費への政治介入をめぐって、杉田水脈議員を提訴中。詳細は「国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判」支援の会HP参照ください 

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