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佐藤一男内閣総理大臣談話(いわゆる陸前高田談話)

  • 佐藤一男 (避難所運営アドバイザー、防災士)
  • 2015年8月15日

第二次世界大戦終結から70年という時間が過ぎました。

戦争により命を落とされた多くの皆様と大切なご家族を亡くされた皆様に哀悼の意を捧げるとともに二度と同じ悲しみを繰り返さぬように決意をあらたにしております。

70年前の大戦では、世界中を巻き込んでの戦いが広がり、数え切れないほどの人命が失われました。

戦争では、勝ち負けにかかわらず、関わった多くの国民の命が失わました。特に戦闘員にもなりえない子どもや高齢の方の人命が多く失われたことも忘れることのできない悲しい事実です。

70年という時間は、当時の経験と記憶を持つ人の数を減らしました。終戦後に生まれた、いわゆる戦争を知らない世代が日本の人口の8割を超えました。語り継ぐという事から、記録し次の世代に伝える必要があらためて大切になりました。戦争のないことがあたりまえになっている日本ですが、日本と周辺の地域を戦場に邦人が300万人以上亡くなり、または不明になっています。今後の日本のためにも、この事実はしっかりと伝えていかなくてはいけません。

これまでの戦争、戦闘は暴力の延長線上にあります。

機械を使い、人間の持つ力を超えた人間同士の殺し合いが20世紀前半の戦争の方式でした。それは戦闘する意思を持ち歯向かう者のみを倒す手段です。しかし20世紀後半には、核兵器・生物兵器・化学兵器という、いわゆるABC兵器と呼ばれる、相手の国の人間を全滅させ、戦争終了後にも人間が住めなくなるような兵器さえも登場しました。

それは、70年前に終わった戦争と同じく、戦闘の意思を示さない者も含めた殺戮兵器です。命を奪い、尊厳を奪い、希望ある未来も奪うものです。また、その兵器を相互に使えば、相手の国と同時に近隣諸国や自分の国をも消し去る可能性を秘めたものでさえあります。このことに気づいたそれぞれの国は、そのような兵器を作り保管はしても使用を自粛する形で最悪の事態は免れてきました。

しかし、この地上にその兵器が今も存在することは紛れもない事実です。この兵器が地上にある限り、微妙なバランスの上に立っている平和なのです。微妙なバランスというのは、いつ崩れるかもわかりません。崩れることのないように兵器の製造や保管を止めるよう対話をもって、すべての国にはたらききかけていく必要があります。

戦争のない国、戦争におびえない国がいかにすばらしいかは、日本が70年という時をかけて実感してきました。

70年間戦争のなかった日本でも、阪神・淡路大震災や東日本大震災で、多くの不条理な死に直面し、やり場のない怒りを感じました。

不条理な死は、自然災害でも戦争でも同じなのです。

二度と突然理由もなく奪われる命がないように祈り世界に向けて行動します。まずは、近隣諸国との対話をもって、どこの国にいても名誉と尊厳を奪うことのないように協力関係を強くしながら、日本の持つ精神と技術をいかし、二度とこのような惨劇が繰り返されないように協力をもって、努力することをここに誓います。

著者プロフィール

佐藤一男
さとう・かずお

避難所運営アドバイザー、防災士

昭和40年(1965年)陸前高田市に生まれる(49才) 昭和59年 3月 岩手県立高田高校 卒業 昭和59年 4月 山形大学工学部 入学 平成 元年 4月 ミクロンメタル株式会社に入社 平成 元年 7月 山形大学工学部 退学 平成 4年4月 ミクロンメタル株式会社退職 陸前高田に戻り家業の漁業を継ぐ 平成23年3月 東日本大震災で被災 米崎小学校体育館避難所の運営役員となる 平成23年5月 米崎小学校仮設住宅に入居(自治会長) 平成23年10月 桜ライン311を任意団体として立ち上げ(副代表) 平成25年4月 陸前高田市仮設住宅連絡会を立ち上げ(副会長) 平成26年6月 防災士の免許を取得、防災士としての活動を始める。 現在に至る ※ 桜ライン311は、平成24年5月に非営利活動法人(NPO)となり、平成26年5月に認定非営利活動法人(認定NPO)となる 役職として、 認定特定非営利活動法人 桜ライン311 副代表 陸前高田市消防団本部 副本部長 陸前高田市米崎町コミュニティー推進協議会 理事 陸前高田市 避難所運営アドバイザー

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